12月21日、神道政治連盟の事務局にお邪魔した。
そのまま足を延ばして神社新報社へ。この日、朝日新聞の取材に応じる。私のコメントは早速、同日配信の朝日新聞デジタル「大嘗宮」関連記事に載った。引き続き東京新聞の取材も。年明けの企画物に使うつもりだろう。その後、小・中学生向けのニュース学習誌『月刊ニュースがわかる』(毎日新聞出版)のインタビュー。3月号(2月15日発売)で御代(みよ)替わりの特集を組むそうだ。私が監修して、早々と重版が決まった『天皇と元号の大研究』も写真入りで紹介してくれるとか。更に、久しぶりに前衆院議員の馬淵澄夫先生からお電話を戴いた。義理堅く年末のご挨拶。又、改元についてのご質問。お元気そうで何よりだった。先の選挙で、図らずも希望の党を巡る混乱に巻き込まれ、惜敗率全国1位で残念ながら落選された。その時に、私が「不可抗力でこんな混乱にさえ巻き込まれなければ…」とお慰めしたら、「責めは予(われ)一人に在(あ)り」という聖武天皇のお言葉を引用されて、「どなたが悪い訳でもありません。私一人の力が足りなかった。ただそれだけです」と潔く言い切られた情景を思い出す。失意のドン底だったはずのあの場面で、あのように立派な態度はなかなか取れるものではなかろう。捲土重来(けんどちょうらい)、是非とも次の選挙では国会にお戻り戴きたい。23日、今上陛下の最後の「天皇誕生日」。ベランダに日の丸を高々と掲げる。但し風邪気味なので、珍しく参賀に行けなかった。久しぶりの事。よりによって、この年に。自分の不甲斐なさが腹立たしい。知人の話では午前9時に仲間と合流して、ギリギリ11時40分の最後のお出ましに間に合ったと言う。私のこれまでの経験では、東京駅で子供達と合流して普通なら約1時間ほどで、皇居・正門の中に入れたものだが。いかに多くの人達が詰めかけたかが想像できる。ちなみに、午後にはご記帳の機会もある(午後3時半まで)。陛下は記帳者の名前全てにお目を通されるそうだ。来年1月2日はまさに陛下にとって本当に最後の一般参賀。さぞかし多数の国民が押しかけるだろう。26日、BS11の番組「インサイドOUT」(来年1月9日放送予定)の打ち合わせ。年頭にご発表の御製(ぎょせい)に注目したい。1月7日には「昭和天皇30年式年祭」。陛下は、東京・八王子市の武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)にある「武蔵野陵(むさしののみささぎ)」にて、祭典に当たられるはず。その直後の番組だ。打ち合わせの後、「生前退位セミナー」にて講演。20代・30代の若者ばかり180名ほど。会場の収容人員の制約で、希望しながら参加できなかった人達も少なくなかったようだ。ご譲位を可能にした法整備について、基本的な考え方と特例法成立の舞台裏を話した。
熱気溢れる会場で、私も熱意を籠めて話す事ができた。